遺言劇場(2)
義父の看病に心を尽くした幸子さんですが・・
幸せだった日々が、突然
幸せな日々を過ごしていた山田家でしたが、当主・山田太郎氏は、交通事故でアッという間にあの世に旅立ってしまいました。
後に残された幸子さんは、35歳の若き未亡人となったのです。
ショック( ̄ω ̄;)!
働き盛りの太郎氏でしたがこれといった財産は無く、家族としては一人娘の春奈(小学1年生)がいますが幸子さんの連れ子で、亡くなった太郎氏の子ではないのです。
今住んでいる屋敷や財産は、太郎氏の父親・源太郎(80歳)の所有でした。
献身的な義父の介護
源太郎じい様は、まだボケてはいませんが足腰が弱り一人では歩行もできず、入退院を繰返していました。
特に夏の蒸し暑い日は、幸子さんの病院通いも大変でした。
それでも幸子さんは懸命に、源太郎じい様の介護に努めたのです。
ある日の昼下がり、幸子さんは娘の春奈を連れて入院中の源太郎じい様を見舞いに行くと、
幸子さん、息子の太郎は死んでしもうた。
娘の花子は、亭主とアメリカに行ったまま広島には帰ることもでけん。
わしは、もうアンタしか頼る者がおらん。
わしもええ年じゃし、そう長ごうは生きれん。
どうじゃろうか
アンタはまだ若いけー、いずれは再婚話もあるじゃろうが、アンタがよけりゃ、わしの家に住んで、
わしの面倒を見れくれんじゃろうか
そのかわり、わしの財産は全部アンタにあげるけえ・・・・
と、弱々しい声で幸子さんに言ったのです。
幸子さんは、センチな気分になって答えました。
お父様、再婚だなんてとんでもない、私には娘の春奈もいますし、
頼まれなくっても、お父様の面倒は私が見ます。
財産なんて、太郎さんの分だけで十分ですよ。
タノンマス _| ̄|○)) ((○| ̄|_ イエイエ、コチラコソ…
それから3年余り、幸子さんは懸命に源太郎じい様の看病に心を尽くしました。
源太郎じい様は、幸子さんに感謝の言葉を残して大往生を遂げたのです。
相続権の問題浮上
お葬式、初七日、四十九日とバタバタした日が続きました。
が、しかし、問題はそれからです。
四十九日の法要をすませると、源太郎じい様の娘(花子)は、幸子さんにこう言ったのです。
お姉さん、長らくこの家に住んで頂きましたけど、私が相続するこの家は売ることにします。
相続税もかかることだし。
急ぎはしませんが、お立ち退きの準備をお願いしたいのですが。
配偶者には代襲相続権は無いの?
息子・太郎は既に交通事故で亡くなっており相続人にならず、その妻(配偶者)幸子や連れ子の春奈には相続権はありません。
配偶者には代襲相続権は無いのです。
ましてや連れ子の春奈は他人です。
そのため父親・源太郎の法定相続人は娘・花子ひとりです。
幸子さんは、これだけ懸命な介護を尽くしたのに、まさか立ち退きを要求されるとは、それまで考えても見ませんでした。
ショック!( ゜▽゜;)
源太郎じい様が「財産は全部アンタにあげる」といったことなどは、カラ手形となるのでしょうか?
家庭裁判所に調停の申立を行い、その結果を待つことにしたのです。
死因贈与契約の主張
民法554条(死因贈与)は、
贈与者の死亡によって効力を生ずる贈与については、その性質に反しない限り、遺贈に関する
規定を準用する。
としており、源太郎じい様の生前の言葉に基づく死因贈与契約を主張したのです。
幸い、近所に源太郎じい様の友人が住んでおられ、常々、「自分の財産は幸子さんにあげる」と話していたので、証人となってくれたのです。
また幸子さんの献身的な看護も有力な証拠となりました。
ε-(*´ω`*) ホッ
コメント
遺言は、死期が近づいてからするものと思っておられる人がいますが、それは誤りです。
人は、いつ、何があるか分かりません。
何があっても、残された家族が困らないようにするのが遺言の作成です。
遺言は、自分が元気な内に愛する家族のために作成するものです。
自分がお世話になった人に感謝の気持ちを表すためにも遺書を残しましょう。
もしも、源太郎じい様が遺言を残しておれば、こうしたトラブルは未然に回避できたでしょう。
また春奈ちゃんと養子縁組がされていれば状況は違っていたでしょう。
ところで、あなたは遺書を作成されていますか?( ̄▽ ̄;)
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